終末期の経過
2014年11月に再発宣告(余命1年宣告)を受けてから1年余り。様々な抗がん剤治療(タキソール、アバスチン、カルボプラチン、シスプラチンなど)を試みながら延命を図ってきましたが、次第に薬の効果が得られなくなっていきました。
2015年10月29日
気管支鏡検査などを経て、使用できる抗がん剤の選択肢が無くなり「もう効く薬が無い」と宣告される。
縦隔のリンパ節腫瘍が気管分岐部を圧迫し始めており、呼吸器外科ともステント留置の検討を行いましたが、かえって異物感や咳・痰を悪化させるリスクが高いため見送ることに。これ以降は、苦痛を緩和するケアが中心となります。
2015年11月4日
早朝、呼吸状態が悪化し、「今日1日もつかどうか?」という危機的状況で永山の病院へ救急搬送された後、大森医療センターへ転送。
右肺が無気肺(肺に空気が入らず真っ白に写る状態)になっていましたが、気管の炎症を抑えるステロイド投与などの処置により劇的に改善。レントゲンを撮った際に撮影技師の方が「先生見てください!すごい回復していますよ」と驚くほど持ち直しました。
この辺りから、強い背中の痛みや呼吸苦を抑えるため、MSコンチンというオピオイド(医療用麻薬)が処方されるようになりました。オピオイドの効果は著しく、辛い痛みがかなり緩和されました。
2015年11月11日
自宅酸素療法(HOT)を導入。自宅にテイジンの酸素濃縮機と携帯用酸素ボンベを設置し、外泊テストを行う。
2015年11月17日
一時退院。Amazonで購入したパルスオキシメーターで酸素濃度を測りながら、自宅で穏やかな時間を過ごす。
2015年11月19日
右肩や背中の痛みが強くなり、オプソ(液体の医療用麻薬)を服用するも治まらず病院へ。
レントゲンで右肺が白くなっていたためそのまま再入院となり、担当医の先生から「おそらく最後の入院になるでしょう」と告げられました。
2015年11月下旬
痛みの変化に合わせてMSコンチンとオキシコンチンの調整(オピオイドスイッチング)やオプソの併用を行いながら過ごす。
2015年12月3日
二度目の退院。
医師からはリスクが高いと言われたものの、本人の強い希望もあり自宅へ戻る。テイジンから7Lまで対応できる大型の最新型酸素濃縮機が届きました。
2015年12月5日
朝5:30頃、急激な咳き込みと痰の詰まりで呼吸困難になり救急搬送。
酸素濃度が60未満まで急低下し、病院で痰を吸引してもらい落ち着きを取り戻す。
病室が空いていなかったため個室(差額ベッド代 24,950円/日)に入院。付き添い用の簡易ベッドを入れてもらい、病院で宿泊しながら見守る生活になりました。
本人も残された時間が長くないことを悟っていたようで、以前は「死ぬときは家が良い」と言っていましたが、「命が長くなるなら病院に居たほうがいいかも」と話していました。
2015年12月10日
最後の日。
前日の朝から呼吸のたびにゼエゼエと喘鳴が続いていました。
04:30頃、トイレに起きようとしたところでサチュレーションが75程に急低下。10L/minのリザーバー付きマスクで酸素を投与し持ち直す。
お昼頃、呼吸苦でオプソの内服が困難になった場合に備え、皮下注射による持続的な鎮痛剤に切り替えてもらいました。
13:30頃、「息が吐き出せなくて苦しい」と訴え、看護師さんが追加の薬を取りに行っているわずかな間に、静かに眠るように息を引き取りました。
がん細胞からの出血(喀血)により気管支が詰まり、一瞬で意識が消失したようです。看護師さんも「寝たのかな?」と思ったほど穏やかな表情でした。
私に連絡があったのはこの直後で、急いで病院へ駆けつけましたが間に合いませんでした。14:30に医師による死亡確認が行われました。(享年27歳)
用語解説
緩和ケア
生命を脅かす病気にかかった初期段階から、身体的・精神的な苦痛を和らげ、QOLを向上させるための医療・ケア。
オピオイド(医療用麻薬)
MSコンチン、オキシコンチン、オプソなど、がんによる強い痛みを抑えるために使われる医療用麻薬。
- MSコンチン: 徐放性(ゆっくり長く効く)の硫酸モルヒネ製剤。
- オキシコンチン: オキシコドン徐放錠。
- オプソ: 速効性のある液体のモルヒネ製剤。急な痛みや息苦しさを素早く抑えるレスキュー薬。
自宅酸素療法(HOT)
自宅に酸素濃縮装置やボンベを設置し、高濃度の酸素を吸入しながら生活する治療法。
サチュレーション(SpO2)
動脈血中の酸素飽和度のこと。正常値は96〜99%程度で、90%を下回ると呼吸困難が現れます。
無気肺
気管支が腫瘍や痰などで塞がれ、その先の肺組織に空気が届かなくなり縮んでしまった状態。レントゲンでは白く写ります。